2012-11-10
久しぶりにDVDを引っ張り出して、「シャーロック・ホームズの冒険」を観ていました。イギリスのグラナダテレビが製作した、ジェレミー・ブレッド主演の不朽の名作と呼ばれるあのドラマシリーズ。
これと、やはりイギリスで製作された「名探偵ポワロ」は、映像コンテンツを苦手とする私がDVDを買ってでも観る、数少ないドラマです。字幕で観るのも、吹き替えで観るのも好きで、英語字幕さえ観たくて、英語字幕がないバージョンからわざわざ買い替えたくらい好きです。
でも別に、シャーロキアンでもクリスティファンでも、そもそもミステリファンでもないのですけれど。
このドラマを愛好する人というのは、根っからのミステリファンも当然いるのですけど、そうではなくて、この映像の隅々までに満ちている空気、並みならぬ気迫で作り上げられた「あの世界」を愛でる人も結構いるのではないかと思います。そして私は、間違いなく後者です。
大仰で芝居がかった立ち居振る舞いと神経質で熱っぽい眼差しを併せ持つホームズに、善良さと寛容さと安定した人格で大地のごとく彼を支えるワトソン、上品ながらせかせかした老婦人ハドソン、マホガニーの抽斗がおさまる家具の群れ、燕尾服とステッキを手放さない紳士、コルセットとバッスルの奥から人々を幻惑する笑みを投げる淑女、臆面もなく血まみれの殺人と凶悪犯罪を書き立てた新聞を売る売り子たち、馬車が闊歩する霧をまとったロンドンのストリート。
そこに住みたいかと問われると正直首をかしげてしまうのですが、あの世界、あの風景を見たいという気持ちはいつもあります。それは今の私の住む世界から遠いものだからなのでしょうけれど、時々、遠出をするように私はこの世界に降り立ちたくなるのです。
引っ張り出して観ていたのは「空き家の冒険」なのですが、このタイトルの名シーン、死んだと思っていたホームズが突然芝居がかったやり方でワトソンの前に現れるところは本当に好きです。
ワトソンは驚きのあまり(紳士らしくもなく)失神してしまい、ホームズがあわてて介抱するのですけど、あのやり取りが二人の間にある絆と友情をこの上なく見事に描写していて、何度観ても微笑ましい気分になります。
ホームズとワトソンの関係性は熱心なシャーロキアンの中にすら同性愛を疑う人が現れるほどで、腐女子系世界観にかかればそれ以外は許されない感じにさえなりそうなものですが、この場面を見ると、その手の恋愛だ何だというレッテル貼りはひどく馬鹿馬鹿しい代物だなぁと思います。
人間が、他の人間を(あるいは人間ではない何かを)、どんな感情の流れであれ、自分以上に大切でかけがえのないものだと思う。その思いの一番透き通った結晶のようなものに、私は昔から惹かれる傾向があって、私が好きなものというのを数え上げていくと、きっと大半のものに、その結晶が見えるのではないかと思います。
まあそんな、誰の役に立つでもないことを考えながら、私はホームズとワトソンの冒険を応援していたのでした。
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