江戸芸術論
2007-03-23


江戸芸術論,永井荷風著、2001.1.14.第1刷、緑42-7

 永井荷風の時代、すでに「江戸」は滅びゆくノスタルジーの対象だった。これは、新しい時代とやらがやってきた時に押し流されていく「旧時代」への賛歌であり、挽歌なのだろう。
 永井は自分が味わい尽くしている浮世絵や狂歌や江戸演劇を、まさに舌なめずりするような濃密さで描写していく。彼がいかにそれらの江戸文化を愛玩しているかは、浮世絵のことなど全く興味のない私にも伝わってくる。そしてそれらの文化は、ブルドーザーのごとき富国強兵の明治文化に、野の花のように踏みしだかれていくのがほとんど決定的であった。文章に満ちているのは、素晴らしい芸術を前にした興奮ではなく、諦念と哀惜である。
 江戸芸術は、時代や文化を越えた普遍性を持つタイプの芸術ではなかったようだ。浮世絵も狂歌も滅びた。歌舞伎は生き延びたが、今の歌舞伎は永井が望んだものでは恐らくない。江戸に殉じて当時進行形で滅びつつあったそれらの文化に対する彼の痛切な思い(と、到来しつつある新時代への嫌悪)は、読んでいて気の毒にさえなるほどだ。
 だが同情は抱いても、私自身は残念ながらその「新時代」さえ「旧時代」になってしまった時代の人間であり、同情以上の感情は持てそうにない。現代日本にも浮世絵の愛好家はたくさんいて、彼らにとってはこの文章は極めて価値あるものに違いないが、逆に言えば江戸文化はそういう「マニア」のものになってしまった訳だ。そのことを、永井はどう思うだろうかと、ちょっと皮肉とも言えないことを考えてしまった。
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