2007-03-10
わかつきめぐみ女史の初期の作品を、私は全部読んだ訳ではないが、そのふたつに不思議な共通項があって面白かった。
それは、「月は東に日は西に」と「So what?」で、そのふたつに絡む「仕事」というキーワードである。
「月は東に日は西に」は、ある高校の美術の同好会が舞台である。その同好会は諸般の事情で正式なクラブとして認められず、そのため学校から予算がついていない。彼らは自分たちの活動資金を、他の正式なクラブから様々な雑用を有料で引き受けることで賄っている。
時々クラブの後輩たちが「こんな雑用を何でやらなくてはならないのか」とぼやくのを、主人公は「雑用、じゃなくて仕事。だからしっかりやらなくては」といなす。
「So what?」は、タイムマシンの暴走で生まれた時空のひずみによって、様々な異世界の住民がひとつ屋根の下に同居することになった模様を描く物語だが、主人公たちの隣に住む住人が、ある会社の会社員である。
この会社は、正業が何なのかはわからないのだが、他の会社や有能な人物のアイデアや発明を盗み出し、金銭に換えることをビジネスとして行っている。彼らのうちの何人かは、そのことに対する良心の呵責に苦しむのだが、その過程で「だって仕方ない、それが仕事なんだから」という言葉が何度か出てくる。
この二つの作品では、「仕事」という言葉が、非常な重みを持っている。
雑用ではなく仕事であるから責任を持ってやらねばならず、また仕事であるから良心の呵責に苦しむ行為でも遂行せねばならないのかと苦しむ。そこには、その作業そのものの価値とは(極端に言えば)全く関係なく、「仕事」という役割によって価値が生まれるのだという、ある種のねじれ現象がある。
「So what?」では、会社員たちは良心の葛藤を様々な形で解決していくのだが、その軸になっているのは「仕事のために人を傷つけることを許してもらえるのか」という苦悩であり、そもそも「仕事であるのだからその行為に意味があるのだ」という命題に対しての疑問ではない。
だから、会社そのものは物語の最後までその行為をやめないし、そのことを恥じる様子もない。「忘れることが不得意なやつにこの仕事は勤まらない」という台詞を言う社員がいるが、それはつまり、問われていたのは会社そのものの是非ではなく、あくまで個々の社員たちの心の問題であったことを示している。
私には、それがとても不思議だった。
きっとこの命題に疑問を持つことに、疑問を持つ人もたくさんいるのだろう。仕事は大切。仕事ならばきっちりとやり遂げなくてはならない。どんなことでも。恥じることはないし、第一それに何の疑問がある? というまっすぐな心を持った人は、たくさん、たくさんいるのだろう。
この命題を挟んで分かれる人の間には、実は考えられる以上に大きな隔たりがあるのかも知れない。
そして私個人は、仕事という単語に何も価値を見出せない人間である。
それは社会人として間違った姿なのかも知れないが、そういう風に存在していることに、どうやら嘘はつけそうにない、のだ。
セ記事を書く
セコメントをする